サ タ ン の 深 み

ヨハネ黙示録 2:18-28

  テアテラの教会は、ある意味では、申し分のない状態にある教会であったと思われます。<わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。>と言われています。後半の文章は新共同訳では、<更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。>となっています。ここだけ読めば、ほとんど理想的な教会がそこに形成されているようにさえ思えます。ところが、「しかし」ということばが次に続き、「あなたに対して責むべきことがある」と言われます。何が問題かというと、「あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている」というのです。

「イゼベルという女」が、特定のある具体的な女性を指しているのか、あるいはテアテラの教会がおかれている状況を比喩的に述べたものであるのかははっきりしません。

イゼベルという名は、旧約聖書に出てくる、ユダヤ人ならだれでも知っている有名な女性の名です。列王紀上16章29−34を見てみますと、イスラエルの王アハブがシドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した状況が要約的に述べられています。アハブは、目先のきく王であり、イゼベルとの政略結婚によってイスラエルに繁栄をもたらしました。しかしこのイゼベルは、やり手の女傑ぶりを発揮し、公然と異教の信仰を持ち込み、道徳性を欠く政治をアハブやその後継者たちに行わせ、結果的には、イスラエルに大きな不幸をもたらすことになるのです。このアハブやイゼベルを向こうに回して戦ったのが、預言者エリヤであり、エリシャです。

テアテラのイゼベルが、個人を指したものかテアテラの教会が今さらされている状況を比喩的に述べたものかは必ずしも明確には分かりません。かりに大きな影響力を持つ個人があったとして、それに振り回される教会全体の責任もまた問われなければならないでしょう。この手紙が問題にしているのもその点です。

世間を騒がせているオウム事件は、まさにこの時代のこの国に起こった一つのイゼベル現象と言えるかも知れません。あさましい一人の人間の魔力にかかって、多くの有為な青年男女が人生を狂わされ、事件の全容がほぼ明らかになった今も、その呪縛から解放されないでいます。そこに、サタンの 「深み」を見る思いがします。オウムの問題は、ある異常な人間の引き起こした問題です。しかしそれを成り立たせたのは、純真とか善良とかあるいは優秀とか言われる今日の若者たちの問題であり、同時に、現代日本全体の問題であると言えるわけです。そしてそれはわたしたち一人一人の問題に帰着するわけです。

一見、申し分のない教会のように見えるテアテラの教会にも、思わぬサタンの落とし穴が隠されていたのです。「人の心の奥底までも探り知る」主イエス・キリストは、「燃える炎のような目」をもってサタンの深みを見透かし、警告を発しておられます。イエスの目を通して、この時代を見、自分のおかれている場所を見ることが求められているのです。

イエスの警告は同時に約束を伴っています。「わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。勝利を得る者に、わたしのわざを終わりまで守り続ける者に、わたしは、諸国の上に立つ権威を授けよう」(新共同訳)。

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