ロ バ に 乗 る 王

 ヨハネ黙示録 13:1-18 マルコ福音書 11:1-11

 イースターを来週に控えて、きょうの日曜日は、棕櫚の日曜日と呼ばれ、また受苦の日曜日(パッション・サンデー)とも呼ばれます。イエスさま は、ロバに乗って、ユダヤの首都エルサレムに入場されます。人々は、棕櫚の枝をうち振り、ある者は、自分たちの衣服をイエスさまの通られる道に敷き、後になり先になって、ホサナ、ホサナと大歓声を上げて迎えます。しかし、それから数日後には、ホサナは、十字架につけよの大合唱に取って変わられます。棕櫚の日曜日は、実は、受難週の初めの日となったわけです。  

ロバに乗って登場されるイエス。それが何を意味するかを、群衆は知ろうとしません。彼らは、ただ自分たちの夢と期待とをイエスに託して、酔い、熱狂し、興奮しているのです。  

イエスは弟子たちに、「人々は、わたしをだれと言っているか」と問うておられるところがあります。イエスは更に弟子たちに、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」と問うておられます。受難週は、この問いがあらためてわたしたちに問い直される時なのです。あなたにとって、イエスとは、どういうお方ですか。思い思いのイエス像を描いて、つまり自分に都合のいい、自分の利己的な思いにあったイエスを礼拝しているのではないでしょうか。ロバのイエスを見ようとせず、自分の思いこみのままのイエスを主と呼び、賛美し、都合よく祭り上げようとしている。  

わたしたちは、本当のイエスを知りたくない。分かり切った、わたしたちの生き方にうまく適合されたイエスで十分なのです。わたしたちの必要や要請に応えてくれるイエスこそ、わたしたちにとって信じる価値のある主なのです。わたしたちの都合に合わないキリストは、十字架につけてしまえ!  

ロバに乗る主イエス・キリストのうちに真の救い主を見ようとしないわたしたちの愚かしさと罪を悔い改めたい。主イエスの真の姿を仰がせたまえとお祈りしたい。  主イエスは、十字架への道を歩み通すことによって、神の支配をあらわにされました。ヨハネ福音書は、十字架の時を、栄光の時と呼びました。人の目には悲惨な十字架の死。しかし、それは、主が天の玉座に王として座られる時。神の国の支配が完成する時だったのです。黙示録12、13章も、このことを証ししています。天上と地上とでは、同じ事がらの見え方が違う。地上では、天上における神の勝利が見えない。御子イエス・キリストの十字架が、サタンへの勝利であることが、はっきり見えない。否むしろ、それはこの世の勢力の圧倒的な勝利のようにさえ見える。  

神の勝利と、十字架の主イエス・キリストのご支配は、この世では隠されている。それ故に、黙示録は、「ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある」と言い、また、「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい」と語るのです。  

ロバに乗られる王。十字架の主イエス・キリスト。この方を通して、神はこの時代を統治しておられる。このことを、はっきり見ることができるようになりたいものです。  

主イエス・キリストこそ、わたしたちの希望です。





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