災 害 と 希 望 − 中 心 の 移 動 

ヨハネ黙示録 15:1-8

 <すべてが見えてくる! 聖地イスラエル・トルコ・パトモスの旅>などという新聞の広告を見ると、一度行ってみたいものだと思ったりします。殊に今はパトモス島を見てきたい。しかし本当は行かなくてもよい。地図で十分だという気もします。世界地図で調べて見ると、いまはギリシャ領になっている。しかしギリシャの本土からは遠く、むしろトルコ西岸に近い。近いといっても数十キロはある。隔絶した小さな火山島。流刑の島だったと言います。ヨハネはその信仰の故に捕らえられてこの島へ流されてきたのです。  孤島に置き去りにされた一個の人間の姿を思い浮かべています。

 するとなぜか、バングラデシュの柳沢さんや、わたしはお会いできなかったけれども、この教会の祈祷会でお話し、ウガンダへ単身赴いて行かれた沼田さんのこと− お二人とも若い女性です− や、テレビで見た極貧の中で学校へも行かないで必死に働くペルーの少年の姿などが、目に思い浮かんできます。遠くの地でどのようにしておられるだろうか。

 同じこの時代に、地球上のいろいろなところで、東京では想像できない困難な状況が展開されているわけです。

 もう一つ。中心の移動ということを考えています。世界は、いくつかの核となる国家や都市や人物を中心に動いているように見えます。それはワシントンであり、数年前までは、クレムンであったわけです。日本においては、何と言っても東京が中心です。しかし、時折、中心が瞬間的に移動する時があります。大震災直後の神戸や、このところの沖縄、普天間、「象の檻」などがその例です。

 さて、パトモス島のヨハネは、辺境こそが中心であることを、力強く証言しているように思います。海のかなたの小さな島で、ヨハネはひとり天を仰いでいます。そして彼は、「天に大いなる驚くべきほかのしるしを見た」と言います。「七人の御使が、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである」。

 このことばは、まさに二十世紀の終わりに聞くべきことばのように思います。14章では、「神を畏れ、神に栄光を着せよ、神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」、「倒れ た、大いなるバビロン(ローマ)は倒れた」、というところを読みました。いずれは滅びるほかないこの世の力に依存するのか、それとも天と地とを創造された神の力により頼むのか。どちらを取るのか。これが、わたしたちに提示されている二つの道です。普天間と引き替えに、憲法第九条が危うくされようとしている。いまわたしたちは、そう言ったことをしっかりと見ていかなければならないのです。

 パトモス島のヨハネもまた、わたしたちの神は、小さい者や、弱い者や、苦しむ者、辺境や、周辺にある人々にご自身を現し、力と勇気を与え給うかたであることを力強く証ししていると思います。神は、思わぬところ、不思議なところにスポットライトを向け、そこへ中心を移動されるのです。





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