勝 利 を 得 る 者

ヨハネ黙示録 17:1-18

 国家というものをどう考えたらよいのか。これは、今日、世界中の人々にとって非常に重要な問題ではないかと思います。二十世紀は、戦争の世紀でした。二つの世界大戦があり、朝鮮戦争やベトナム戦争、そのほか数え切れないほどの戦争がありました。今この時点でも、さまざまの地域に紛争があります。それらは、国家や民族によって戦われる戦争です。国家の問題、民族の問題は、今世紀最大の問題であり、次世紀への重たい宿題です。

 ヨハネ黙示録は、鋭く国家の問題をえぐり出しています。一言でいえば、国家のデモニッシュな(悪魔的な)側面をさらけ出し、国家の力を相対化 し、無力化している、と言っていいでしょう。つまり、国家を神聖なものとして絶対視することからわたしたちを解放するのです。

 17章を読みます。「大淫婦」とあるのは、ローマ帝国のことです。1節に、「多くの水の上にすわっている大淫婦」とあり、そして15節に、「あなたの見た水、すなわち淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である」とあります。ローマ帝国の力がいかに強大であるかを物 語っています。2節以下には、帝国の豪華絢爛な繁栄ぶりがどぎつく描かれています。また、これに追随する諸王、諸国のていたらくが、「地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」といったことばで表現されています。さらに、この女、すなわち ローマ帝国が、「聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれている」と言うふうに書かれています。地上の強大な権力機構としての神の義にもとる帝国の姿が、この上なく醜悪に描き出されています。地上の権力に対するあまりにもネガティブな見方ではないかとさえ思えるほどです。

 ところで、この帝国は、すでに滅びの相において捕らえられています。 「彼らは小羊(すなわちキリスト)に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」、と言われています。16節に は、かって帝国によって支配され従属を強いられていた者たちが、この帝国に反抗しこれを滅ぼしてしまう様が描き出されています。

 三日は憲法記念日でしたが、ちかごろ、憲法第九条をめぐっておかしな方向に向けての論議が盛んになってきたのは、どうしたことでしょう。考えてみればこの問題も、結局は、国家というものをどう見るかという問題に帰着するように思います。国家を至上の価値とし、これを守るために軍事力を増強することが正当化されるのです。ヨハネ黙示録は、この地上の権力機構の自己正当化の論理は、小羊の血の代価によって完全に崩れ去ったことを証言しています。

 話は飛びますが、この間、くにたちインタナショナル・フェスタで、高校 生や大学生によるユースフォーラム・英語スピーチ大会を傍聴しました。 「地球市民として環境を考える」というテーマで、後半は日本語で、聴衆も参加して、討論がなされました。聞きながら、あるもどかしさを覚え、あらためて考えたことは、地球市民という事を、どういった視点、視座から話すかということです。地球時代に、あの「大淫婦」のように、世界をまたいで座る位置、つまり、帝国、大国、先進国の位置からは、世界は本当には見え てこない。「環境を考える」とすれば、たとえば、チェルノブイリの子供たち、汚染された地域を離れよとしても離れられない貧しい農民たちの視点から考えなければならない。

 ヨハネ黙示録は、まさに、ローマ帝国の時代に、そういった視座から、神の支配、神の国を証言しているのです。





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