大 い な る バ ビ ロ ン は 倒 れ た
現 実 と は 何 か

ヨハネ黙示録 18:1-24

 黙示録を読んでいまして、きょうのところなどを読みますと、血沸き肉躍ると言いますか、ある種の痛快さを感じます。<倒れた。大いなるバビロンは倒れた。>というテーマが、これでもかこれでもかと繰り返し、音を変え色を変えて展開されていきます。バビロンというのは、ローマのことです。いま繁栄を極めているローマのことです。広大な版図を誇る世界国家としてのローマ帝国のことです。その中心をなす、大都市ローマのことです。そこで権力を振るう皇帝たちのことです。

 パトモス島のヨハネは、このローマを、もはや完全に倒壊してしまったものとして、天空の大ステージにパノラマのように描き出して見せます。

 ローマはいまや廃墟と化し、悪魔や、汚れた霊の巣窟となり、薄気味悪い鳥たちが飛びかっています。さまざまの災害、死と悲しみと飢饉とが、不幸を他人事のように考えている者たちを突然襲い、滅ぼしてしまいます。帝国の繁栄によって大いに栄えていた商人たちは、ああ、わざわいだ、これほどの富みが一瞬にして無に帰してしまうとは、とバブルの崩壊を慨嘆します。

地中海を行き来して、物資を運搬し、貿易し、富みを築いた者たちは、炎上するローマをはるか沖合いから眺めて、「ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。・・・海に舟を持つすべての人が富みを得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった」、と泣き叫びます。

 そしてヨハネは、駄目押しするように、<すると、ひとりの力強い御使 が、大きなひきうすのような石を持ち上げ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、まったく姿を消してしまう。・・・」と歌い、先進的な文明や文化を享受する人間の営みが跡形もなく姿を消してしまうと告げています。

 これを痛快と言うのは野蛮でしょうか。ヨハネは言います。「天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」、と。人々は言うでしょう。ヨハネよ。おまえは、気が狂っている。どこに、滅びがあるか。そのような愚かなことを言うものだから、おまえは捕まえられて、こんなところに幽閉されているのではないのか。ばかな真似はやめて、普通に生きたらどうか。世の中にはおもしろいことがいっぱいあるではないか、と。

 ヨハネは、何を見ているのでしょうか。単なる幻想でしょうか。極度の困難の中で、何かを待ち、ただ希望的観測をしているだけなのでしょうか。そうではありません。彼は、ある確かなリアリティ、一般の人が見ようとしないもう一つの現実を見ていたのです。

 現実とは、何でしょうか。出エジプト記の文章を読んでみましょう。<多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務めのゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え、神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた。>(2:23-25)

「また叫んだが」というところまでが、一般に言う現実というものでしょ う。それ以後の所に、「神」が五回も出てきます。見えない神の支配。パトモス島のヨハネが見たのも、この神のご支配のリアリティだったのです。





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