小 さ き 者 も 大 い な る 者 も 

ヨハネ黙示録 19:1-10

 世界の長老教会において広く用いられているもので、信仰告白の内容を教育的目的に従って問答形式に展開した、「ウエストミンスター教理問答」 (Westminster Catechisms)というのがあります。これには、主に成人を対象として書かれた大教理問答と子供のために書かれた小教理問答がありま す。カンバーランド長老教会の「信仰告白」にも、1984年に現行のものに改訂する以前のには、これにならって書かれた「教理問答」(カテキズ ム)が入っていました。これらの教理問答は、いずれもその第一問は、「人間の主なそして最高の目的は何か」という内容の問いになっています。そして、その答は、「人間の主なそして最高の目的は神の栄光を顕し、且つ永遠に神を全く悦ぶことである」ということばになっています。

 生きる意味は何か。人生の目的は何か。これは、この世に生まれてきた人間にとって最も重大な問題ではないでしょうか。この問い対して、これらの教理問答は、実に明快に答を示していると思います。大教理問答では、これを裏付ける聖書のことばとして、ローマ書 11:36、14:8、ヨブ記 36:24、コリント第一 10:31を上げています。(聖書を開いてお読み下さい。)

 ヨハネ黙示録を学んでいまして、19章の前半のところを読みながら、わたしはふと教理問答の一番最初に出てくる上の問答を思い出したわけです。 「ハレルヤ、救いと栄光と力とは、われらの神のものであり、そのさばきは、真実で正しい。・・・

 「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に、われらの神をさんびせよ。

 「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられ る。・・・ (ここは、ヘンデルの「メサイア(救世主)」の中のあの有名な「ハレルヤ・コーラス」で歌われる文句です。)

 先週は、出エジプト記 2:23-25 を引用しながら、「現実とは何か」と いったことを少しお話しました。聖書は、この世の人々が見ることのできない、神の国のリアリティをはっきりとわたしたちに見せてくれます。パトモス島のヨハネも、迫害というこの世の酷しい「現実」の中にあって、もう一つの、神のもとでの現実を見ています。これを、「黙示録」的現実と言ってもいいでしょう。「黙示録」を英語ではレベレーション(Revelation)と言います。隠されているものをあらわにする、という意味です。この世の「現実」の中に隠されている真の「現実」を露(あらわ)にする、という意味です。このリアリティを経験するならば、生きる意味、人生の目的は、はっきり見えてくるのです。「天の大群衆の大声」に合して、思いっきり声を張り上げて神を賛美する者となるのです。

 「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。・・・」と、キリスト者の生きる喜びが、婚宴の喜びのたとえをもって歌われます。神のリアリ ティのもとに生きる者には、このように大きな喜びが、生きる喜びがあるのです。

 ですから、第一のものを第一にして日々生活しましょう。キリスト者の生活は、神をほめたたえ、神を第一とする生活です。礼拝の生活です。日曜日に始まる生活です。

 ローマ書 12:1-2 を読んで終わります。





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