新 し い 天 と 地

ヨハネ黙示録 21:1-8

 聖書の愛とは、深い同情の事である。

 黙示録を読みながら、きょうは、あえて一言で、神の愛をこのように言って見ようと思います。

 ルカ福音書7:11−17に、イエスさまがナインの町で、ある母親の死んだひとり息子を生き返らされたという記事があります。母親は、先に夫にも先立たれ、今はひとり息子を失ったのです。大勢の人がやって来て、彼女につき添っていました。福音書は、<主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」(新共同訳では、「もう泣かなくてもよい」)と言われた。>と報じています。そして、イエスさまは、死んだ息子に、 「若者よ、さあ、起きなさい」と語りかけて、生き返らされたのです。

 ここに言われている「深い同情」ということばは、マタイ福音書9: 36の、<(イエスは、)また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、深くあわれまれた。>という文章の、「深くあわれまれた」ということばと同じことばです。それは、内蔵ということばから来ていることばです。悲しみや痛みを、ご自分の内蔵の痛みとして、完全に共有されることを意味しています。

 十字架の上で主イエスは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んで死なれたと、福音書は報告しています。これにはいろいろな解釈や説明がなされています。しかし、一番肝心な事 は、主イエスは、人間の死の暗黒と痛みと苦しみそして悲しみをその極みにおいて引き受けて下さった。わたしたち人間の絶望をその極みにおいて、共有して下さったということだと、わたしは思います。同情とは、そのような関わり方のことです。福音書は、このイエスを、神はよみがえらされた、と告げるのです。使徒行伝においてペテロは復活の証人として説教し、<(しかし、)神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。>と述べています。

 パトモス島のヨハネは、この世の権力によって教会が迫害され、多くのキリスト者たちが苦しみに遭い、時には殉教して行く状況の中にあって、天を見上げています。神は、すべてをご存じであり、すべてを見ておられる。神は、すべてを新しくされる。彼は、そう確信します。イエスをよみがえらされた神の愛、神の同情が、ひしひしと身に迫ってくるのです。過去・現在・未来の時の中心に立っておられるイエス・キリストにおいて、パトモス島のヨハネは、「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た」とはっきり言うことができるのです。

 <見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人が神の民とな り、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。>

 神の愛、イエス・キリストにおける神の深い同情は、人々に、真に生きる希望と力を与えるのです。





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