永 遠 の 都

ヨハネ黙示録 21:9-27

 天国といったらどんなイメージを抱くでしょうか。

 木々は青々と繁茂し、花々はかぐわしい香りを放ち、鳥たちは歌い、動物たちは戯れている。これが、楽園としての天国のイメージかも知れません。

ところが、黙示録が描き出す天国の図は、これとは似ても似つかぬもののように思えます。それは、ほとんど超モダンと言っていいような、およそ自然のない無機質な構造物のようにさえ思えます。

 碧玉や、サファイアや、めのうや、エメラルドや、赤縞めのうや、赤めのうや、かんらん石や、緑柱石や、黄玉や、ひすいや、青玉や、紫水晶や、真珠や、透き通ったガラスのような純金など、<あらゆる宝石>で造られている巨大都市です。どの位大きいかというと、縦横高さがそれぞれ2500キロもある立方体の巨大都市です。。

 もちろん、これは文字通りに理解する必要はありません。パトモス島のヨハネが表現したかったのは、<都は神の栄光に輝いていた>と言うことだったのです。

 北極圏に近いスエーデンでは、夏至祭りが盛んに祝われるということで す。冬は長く、昼はほんの一、二時間しかない季節さえある。夏至の日は、日が暮れない。暮れない長い一日の陽光を、みんなで楽しみ、祝うのだということです。

 闇と悲惨にさいなまれる地上の現実の中で、ヨハネは、夜のない、影も暗やみもない、神の栄光に輝く聖なる都、天から下ってくる新しいエルサレムを見たのです。深い闇の中で、一点の曇りもない新しい都を見たのです。

 <この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。> この文章の直前には、 <わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。>と言われています。神殿とか、聖所と訳されるナオスという神聖な場所が、今は、特定の場所ではない。全領域が神の栄光の満ちる場所になっている。ですから、そこには神殿がないのです。

 要するに、9節以下の叙述は、1−8節に語られていることを、神の栄光ということに焦点をあてて言い直したと言ってもいいのです。4節に、<もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。>とあります。神の栄光の輝くところには、このような闇は、一切ないのです。

 24節以下に、重要なことが述べられています。<諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。・・・ 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。>  世界の国々の人々が、四方に開かれた十二の門からこの都に入ってくるのです。新しい人類共同体の輝かしいビジョンが描かれているのです。

 彫刻家が、石や木を彫っている時、彼は、やがて彫り出されるものの形姿のはっきりしたイメージを心に描いて、のみを当てハンマーを打っているはずです。女性が(男性でもいいのですが)、布地を裁断する時、やがて縫い合わされてでき上がってくるドレスのイメージをしっかり持っているに違いありません。

 パトモス島のヨハネは、この世に立っている宣教の教会が、何を目指し、何を待っているのかを、はっきりと指し示す神からのビジョンを、いま、聖霊に満たされて(10節)、見ているのです。





IPCC Office

Chair - Masaharu Asayama

(Pastor,Kunitachi-Nozomi Cumberland Presbyterian Church)

3-15-9 Higashi,Kunitachi-shi,Tokyo,Japan 186

TEL +81(0)425-72-7616  FAX +81(0)425-75-5049

E-mail : ipcc@po.eis.or.jp