十字架の言葉  コリント一1:18-31

 昨年のクリスマス12月25日は、前日の日曜日で教会のクリスマスの催しがすべて終わったあとののんびりした気分で、新宿の厚生年金会館で開かれた映画「親分はイエス様」の完成披露試写会に行ってきました。いいクリスマスになりました。

 刺青の男たちが福音に触れ、命がけでヤクザ渡世に別れを告げて、クリスチャンとして新しく生きはじめる、実話に基づいたストーリーです。熱心なクリスチャンである韓国人の妻の熱い祈りに支えられて新しい人生を生きる決心をした主人公は、ある日思い立って、大きな木の十字架を作り、それを担いで歩き始めます。十字架行脚は、日本各地を巡り、仲間を増やし、最後は妻の国韓国にまで行き着きます。

映画の前に、製作にたずさわった人たちや出演者たちの挨拶がありました。その中で特に印象に残ったことばがあります。この映画を見て、「だれでもやり直すことができる」ということをみんなに知っていただきたい、ということばです。

 「だれでもやり直すことができる」

 このことばに、わたしの心はきゅーんとなりました。「メリー・クリスマス」という挨拶が、とても新鮮に真実に響いてきました。

 <兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。>

 少し長いですが、きょうの聖書箇所から26-31節のことばをそのまま引用しました。まさに、「だれでもやり直すことができる」と言っている箇所ではないでしょうか。映画の主人公は、木材を組み合わせて作った十字架を背負って歩き出しました。勇気と決断がいりますね。そう、信仰とは、勇気と決断です。バンジージャンプのように、思い切りよくイエス様に向かって飛び込んでいくことです。イエスは、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と呼びかけています(マルコ8:34)。映画の主人公は、木製の十字架を背負って歩き出しました。あなたの十字架は、どんな十字架でしょうか。勇気を持って自分の人生を引き受け、十字架を負ってイエスに従って行きましょう。十字架の主イエス・キリストが、手を広げて、「さあ、わたしに従ってきなさい」と呼んでおられます。

 <十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。> 

2001/01/21

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