何かが起こる コリント一5:1-13

 「あ、教会だ!」と、壁面の十字架を指差してお母さんに教えているらしい、子供の可愛らしい声が聞こえてきたりします。お母さんは、十字架を見上げ、ふと「教会って、どんなところかしら?」と思い巡らしながら、十数メートルの道のりを通過して行くのかも知れません。

 教会って、どんなとこ?

 十字架の下に、入り口があり、片開きの扉がついている。両開きでもいいが、イメージとして、何か片開きがいいような気がする。扉には、Come and See(来て見なさい。分かります。) と温かい文字−ヨハネ福音書139のイエスのおことば−が書かれている。近づいて見る(あるいは、文字をクリックして見る)と、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というイエス・キリストのおことばが読める(聞こえてくる)。

 入り口は、帰るときには出口でもある。扉の内側、外に出るときに見る面には、Go in Peace !(安心して行きなさい。) と書かれている。イエスが、長い年月病気で苦しんでいた女性を癒された後に彼女に贈ったことばの中の一節である。「イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気で暮らしなさい。』」

更によく見る(クリックする)と、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」というイエスのおことばが響いてくる。

 少しマンガ風に言えば、肩を落とし暗い顔をして中に入って来た人が、いまは晴々した面持ちで足取りも軽く出て行く。英語の現代語訳聖書(Good News Bible)のローマ書66節に付されたイラストは、罪の重荷を背負って重い足を引きずってやってきた人が、十字架のもとにすべての重荷を置き去って、全く別人のように背筋を伸ばして歩き始める姿を描いている。使用前・使用後ではないけれど、教会とは、そういうとこではないでしょうか。

 「ただ信ぜよ。ただ信ぜよ!信ずる者は、だれでも、みな救われん!」という昔の救世軍の歌には、教会の十字架と同じように、ある種の懐かしさがこもった響きがあります。信じて救われる。ただ信じて救われる。そこに教会があります。そこには、あたらしい共同体があります。使徒信条のことばで言えば、「きよい公同の教会、聖徒の交わり」があります。

 さて、コリントの教会は、きょうの個所を読むと、「みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者」、そういった人たちがやって来る教会だったのです。それでいいのです。しかし、出て行くとき、同じ姿で出て行くとすれば、それは困ったことです。Come and See! Go in Peace! の間に、何かが起こるのです。実は、その出来事こそ、教会なのです。 

01/03/04

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