愛は造り上げる コリント一8:1-13

 <知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。>(8:1)

 個人的な好みを言うようで少々気が引けますが、どうも人間は生意気なくらいがいい。その反対に、威張る人間は、いやですね。

念のために「生意気」を広辞苑で引いてみましたら、<年齢、地位に比して、物知り顔をしたり差し出がましい言動をしたり、きざな態度をとったりすること。>とありました。出る釘は打たれる。何事も、目立たぬよう、控えめに振舞うのが安全といったこの国の社会では一番嫌われるタイプかも知れません。若き日の小沢征爾がN響の楽団員にボイコットされた話は有名です。日本で捨てられ、海外で花を咲かせた良い例の一つです。個性的な人間、生意気な人間をもっと大事にしたほうがいいと思いますね。

 これと反対に、少し偉くなるとやたらに威張る人がいますね。昔の軍隊がそうでした。子どもの頃、兵隊が新兵を路上で殴り飛ばしているのを何度か見かけました。一等兵や二等兵が、路上ですれちがう新兵を、敬礼の仕方が悪いとか言って、殴り飛ばすのです。選挙の時になると人が変わったように卑屈にぺこぺこと頭を下げたり土下座したりする代議士が、大臣にでもなると、実に大柄な物言いをしますね。あんな下品な人たちがこの国を動かしているのかと思うと、実に暗澹たる思いになります。もう一度何かを根本的にやり直さないとこの国には将来がないような気がします。経済のことばかり言いますが、問題は、経済ではない。人間ですね。人間の問題です。人間がいないんです。

 話が、大いに横道に逸れました。

 「少し偉くなると」と言いましたが、これは、「知識」についても言えることです。知識が増えると、偉くなった気になる。知らず知らずのうちに、威張るんですね。「教養」のある人は、露骨に外にあらわさないかもしれませんけれども、どこかで人を見下し、威張っちゃうんです。上に引用した「高ぶらせる」という語は、もとのことばでは、膨れ上がらせると言う意味です。どんどんふくれ上がってしまう。そういった弱さが、人間にはあります。これに対して、パウロは、「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。」と言っています。ぎゃふんとさせられるようなことばですね。いや、いっそうのこと、ぎゃふんといって小さくなれれば一番いいのです。幼子のようになれたら、チャンスがあるというものでしょう。

 「知識を持っている」と自負する教会のえらい人たちが、知らず知らずのうちに、弱い人たちを困らせ、誤った方向へと追いやっている。パウロは、そのことをここで問題にしています。ここで、「知識を持っている」人たちの最大の問題は何か。それは、愛の欠如ということでしょう。知識に基づいてどんなに正しいことを述べても、そこに愛が無ければ、何にもならない。人を救わない。「あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。」というのです。

 実にこの愛の欠落こそ、罪なのです。 

00/04/22

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