無秩序の神ではなく コリント一14:26-40

 ハノイでの東南諸国連合(ASEAN)拡大外相会議に出席した中国の唐外相は、田中外相との個別の会談の後で、小泉首相の815日靖国神社参拝問題についての日本人記者たちの質問に答え日本語で、「『やめなさい』と言明しました」と激しい口調で語りました。「言明」とは「はっきり言い切る」ことを意味し、漢字の国の外相はそのつもりでこの語を用いたと思います。一国の外相が他国の総理大臣の振る舞いについて、テレビの前で声を荒げて「やめなさい」とは、よほどのことと言わなければなりません。案の定、失礼だ、このようなことを言われて引き下がるわけには行かないだろう。首相は、断固、参拝すべきだ、といった声もあがっています。

 そもそも、「やめなさい」以前に、「殿、ご乱心」としか言いようのない小泉首相の再三にわたる挑戦的な参拝発言こそ、重大な問題を含む無礼極まりないものであり、もしわたしが中国あるいは韓国の主席、首相なら、ただちに駐日大使を本国へ召還し、更には、甚大な経済的損害は覚悟の上で、経済、文化、その他の交流を断固直ちに停止することにするでしょう。

 「やめなさい」は、尋常ではありません。それだけ、今度の問題の背景についてのシビアな見方が、この国の人々に求めていると思います。

 さて、パウロはコリントの教会の人々に向けての、「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることは許されていません」という言葉には、唖然とさせられます。あの「(そこではもはや、)ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ書3:28)という彼の言葉との間にいかなる整合性を見出すことができるでしょうか。

 黙っていなさいと書いただけではありません。「自分は預言する者であるとか、霊の人であるとか思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたは主の命令であると認めなさい」と言明してさえいるのです。

 これにはよほどの背景と事情があるに違いないのです。パウロがこの書で教会での女性の振る舞いについて直接的に語っている個所は、11章の初めのところと14章のきょうの個所ですが、中間の新共同訳で「霊的な賜物」「異言と預言」と表題が付されている個所などでも、ある女性たちの突出した振る舞いがおもに問題にされているようでもあります。115節に「女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭にものをかぶらないなら、その頭を侮辱することになります」といったちょっと読んだだけでは何を言っているのか分からないことばが出てきます。ついでですが、「預言したりする際に」という言葉をみても、パウロは、女性が教会で語ることを前提して書いている。明らかに、「黙っていなさい」というのは、額面どおりの意味ではないことが分かります。で、頭に物をかぶるとは何か。熱心に祈り預言する女性たちの中に、興奮し髪を振り乱して絶叫したりする者があったと想像されます。放置しておけば神がかりの宗教に見られるような異様な集会になってしまうでしょう。「教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会にきて間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか」(14:23)という言葉はその辺の消息を語っていると言えるでしょう。預言する者であるとか霊の人であると思っている人たちは、変な自信とか確信をもっていて、自分のおかしさになかなか気が付かない。パウロは、彼らが語ることを禁じ、「わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい」と言明する必要があったのです。 

01/07/29

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