宣教の旅(2) コリント一16:5-12

  先日、信州で開かれたM.L.キング研究会の研修会に参加し、遠くは沖縄や広島、近くは地元の教会からやって来た、一癖もふた癖もありそうな(問題意識をもった)面構えの大勢(31人)の男女のひとたちにあいました。二日目の晩は、日本におけるキング研究の第一人者である梶原壽先生の学友で梶原先生とキング研の世話役をなさっている佐久岩村田教会の牧師山本将信先生の家の庭で「打ち上げ」の夕食会が開かれました。山本牧師率いる「山谷農場」のナスやジャガイモその他の野菜と先生吟醸の地ビールで、会は大いに盛り上がりました。

 関西の大学で教え、定年で退職し、京都の神学校に入り大学院で学んでいるという農学博士が、わざわざわたしたちの席へやって来て、「銀座農政」というのを知っているか。昔、東畑精一というボスと仲間たちは、銀座のレストランかどこかに集まって日本の農政を動かしていた。東京にいて何が分かるかッ?!!と、地ビールの勢いを借りてわたしに挑んできました。生意気なやつだ、と思いました。神学を少し勉強すると、年をとっても生意気になるのだ、と思いました。生意気なやつは、好きです。威張るやつは、きらいです。生意気と威張るのとは、微妙に違う。アフリカで現地人と暮らし、貧困や病気の問題をじかに見てきた元大学教授、現神学校大学院生の農学博士が、生意気なのかただ威張っているだけなのかはまだ判別できませんが、「東京にいて何が分かるかッ」には、畑仕事をしながらたくましく伝道している牧師の家でのほろ苦い地ビールのせいもあって、わたしはただただ顔を赤くするだけで、反論する勇気もでませんでした。

 農学博士の老神学生に言われるまでもなく、ひ弱な東京の牧師は、聖書を読むたびに身の縮まる思いをしています。コリント書を書いている時分のパウロは、何歳くらいだったろうか。60歳前後だったろうと想像します。彼は、決して一所に安住することはなかった。常に旅する伝道者であった。その宣教の旅は、安逸なものではなかった(コリント二11:16-33)。パウロだけではない、聖書の証し人たちはみな、地上では旅人として生きた人たちです(ヘブライ11:13-16)。そこに、彼らの自由がありました(コリント一9:1−)。

 パウロの旅は、しかし、風(聖霊)まかせの旅ではあったけれども、決して無謀で無計画のものであったわけではなかった。むしろ、冷静に、綿密に計画を立てて行動していたことが、きょうの個所からも伺えます。パウロは、問題の山積するコリントへ自分自身が出向かなければならないと考えている。一定の期間そこに滞在し、教え、指導し、そこから、一見9章のことばと矛盾するようにみえるが、コリントの教会の後方支援を受けて(6節)次の場所へ出て行こうとしている。

 今は、エフェソを離れることが出来ない。代わりに若い伝道者テモテをコリントへ送り出すことにしよう。そちらでは、彼が心配なく過ごせるよう、軽しめられることがないよう、取り計らって欲しい。帰途も、安心してこちらへ来られるよう送り出して欲しい。「彼は主の仕事をしているのです」と書いています。旅する伝道者の働きが、教会の全面的なサポートのもとで遂行されることを、彼は当然のこととして書いています。

 パウロを召し彼を旅する伝道者として派遣されたのは、ご自身について「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われたイエスです。どこにいても、旅する者として生きる。そこに、キリスト者の自由があるのでしょう。

01/09/09

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