起 き よ 、 光 を 放 て  − 転換の時代を生きる− 
イザヤ書 60:1-7 マルコ 1:14-15 ローマ 13:11-14
  新しい年、新しい世紀、新しい千年紀の初頭にあたり、神の恵みに感謝し心よりお祝い申し上げます。
 やはり、ボタンのかけ違いがあったようです。
 西暦年は、0からではなくていきなり1からスタートした。で、2001年が21世紀の最初の年になる。どうやら、そういうことであるらしい。ゼロの概念がなかったことから生じたボタンのかけ違いのようです。
 先週、二十一世紀は2000年から始まるという「自説」を説いて、しかしなぜ2001年説が当然のことのように世間に流布しているのかを知りたいと少しばかり調べて見て、やっぱりそうかと分かったのが上に述べたような事情でした。しかし、「自説」はそのままにしておきたい。年頭に、新しいミレニアム(千年期−千年紀)の始まりとは言っても新しい世紀の始まりと言わない−言えないのは、理屈としてもおかしい。このズレはこの際解消すべきです。日時の調整は、たとえば次元は少し違いますがうるう年があるように、ほかにもあります。二千年を機に、ボタンをかけ替えて、新しい世紀と新しいミレニアムの幕開けを高らかに歌うのがよいと考える次第です。
 こんなことにこだわるのは、一つにはあと1000年待たなければこのような機会に巡りあうことはないからですが、何よりも、「転換の時代を生きる」わたしたちにとっては、世界で一番早く二千年の初日の出が見られる地点はどこかということ以上に、何もかもが改まるゼロの年新しい時代の訪れが待ち遠しいからなのです。
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
 満ちた。近づいた。歴史は、このゼロの時に向かって、急速に収縮している。収縮の極点、ゼロの時点において、新しい時代が始まる。そのスリルとサスペンスの極限に、今わたしたちは立っている。<更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いが近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。>(ローマ 13:11-12)
福音書は、イエスの到来を預言者イザヤのことばの実現とし、<暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。>と告げています(マタイ 4:16)。
 眠りから覚めるべき時が既に来ている。
<起きよ、光を放て。
<あなたを照らす光は昇り
<主の栄光はあなたの上に輝く。
<見よ、闇は地を覆い
<暗黒は国々を包んでいる。
<しかし、あなたの上には主が輝き出で
<主の栄光があなたの上に現れる。
         − イザヤ書 60:1-2
 教会はいま、新しい時代の到来を告知するものとして、聖なる天の呼びかけを聞かなければなりません。
 起きよ! 光を放て!
00/01/02 

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