借金の帳消し マタイ福音書18:15-35 レビ記25:1-12

 何が難しいかと言って、個人にとっても会社や国にとっても、何か間違ったことをしたときに、正直に非を認めて(「まことに遺憾である」などという曖昧な言い方をせずに)率直に謝罪することほど難しいことはありません。また、それと同じくらいにむずかしいのが、人の過ちをきれいさっぱりと心から赦すことです。謝罪できない。赦すことができない。この二つは、いわば一つのコインの表と裏の関係にあると言っていいでしょう。ですから主イエスは弟子たちに、主の祈りで、「われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦し給え」と祈るよう教えられたのだと思います。赦すことと赦しをいただくこととの間には深い相関関係があるのですね。赦さない人は赦されない。赦されたことを知らないものは、赦すことができない。わたしたちが人を赦すことができないのは、自分がどんなに大きな罪を赦されているかを知らないからです。

 ペテロは自分に悪を行う人を何回赦したらよいか、せいぜい七回だと思いますが、とイエスに問います。するとイエスは、いや七を七十倍するまでも赦しなさい、と答えられました。そして、王から1万タラントの借金を帳消しにしてもらった男が、自分に百デナリオンの借金がある仲間を捕まえて牢に入れてしまった、というたとえ話をされたのです。百デナリオンとは、労働者の百日分の給与に相当する額です。1日5千円として50万円、その倍で計算すれば百万円ということになります。小さい額ではありません。しかしこれに対して、1万タラントは、百デナリオンの実に50万倍に相当する額です。計算すれば、天文学的数字になります。つまりこのたとえは、人間が神に負う負債がいかに大きいかを示しているわけです。主イエス・キリストの十字架は、わたしたちの大きな大きな罪のために支払われた代価(贖罪)なのです。こんな罪深い無価値な人間のために、主イエスは、命を与えてくださったのです。「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリント一6:20

世界の金持ち国の代表たちが集まって開かれるサミット(先進国首脳会議)が、ことしは7月に沖縄を舞台にして開かれました。「最貧国債務帳消し」のキャンペーンを展開している国際NGO(非政府組織)「ジュビリー2000」が、この会議に向けて、インターネットJubilee 2000 Coalition http://www.jubilee2000uk.org/ で、Drop the Debt (債務帳消し)の署名運動を始めました。メールアドレスを記入すると、署名はただちに会議国の各政府に届くわけです。わたしも早速署名に加わりました。その時点ですでに、17百万ものネット上の署名が集まったということでした。驚きです。折り返し、アメリカのホワイトハウスとイギリスの大臣室から、通信を感謝し前向きに受け止めるといった内容の自動返信が届きました。IT革命を最重要テーマとして掲げた日本政府からは、何の返信もありませんでした。債務帳消しに最も消極的なのは、最大の援助債権を持つ(約1兆円)日本らしいのですね。宴会サミットに莫大な費用をかけて羽振りのいいところを見せたのに。

ジュビリー2000とは、聖書(レビ記25章)のヨベルの年からきた呼び方、ジュビリーは、ヨベルの英語読みです。元来は角笛を意味したことばのようです。50年に一度、角笛を吹いて借金帳消しのヨベルの年を祝ったのです。2000年はまさに大聖年ヨベルの年です。地上に、赦しと解放が、正義と愛が行き渡りますよう祈りましょう。


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