小さくなる マタイ福音書19:1330

 金持ちの青年がいました。真面目で、非の打ち所のない青年でした。彼は、しかし、もっともっと立派な人間になりたいと思いました。イエスさまのことを聞きつけると、走って行ってその前にひざまずき(マルコ10:17)、「先生。永遠の命を得るためには、何をしたらよいでしょうか」と質問しました。何をしたらと言うのなら、律法をしっかり守ったらよい、とイエスはお答えになりました。すると彼は、それらは全部守っています、と言いました。すごい自信です。安息日のおきては隅から隅までしっかり守っている。親孝行もしている。正統なユダヤ教徒がするはずの貧者への施しなどもだれにも負けないほどし。

宗教改革で有名なルターは、修道僧時代を振り返って、行いによって救われるものがあるとすればそれはわたしだったと言っていますが、この真面目な金持ちの青年も、あと一本で千本だと言って牛若丸に立ち向かった五条の橋の弁慶のように、何かあと一つを加えれば完全になれる、それを教えて欲しいと言ってイエスに食い下がったのです。彼は、百点を取りたいのです。99点まで来ている。あと一点欲しいのです。

 イエスは、何と言われてでしょうか。イエスの答えは、彼には大変にショッキングなものでした。イエスは彼に、完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。あと1点がほしいのなら、持っている99を全部捨てなさい。そして、わたしに従ってきなさい、と言われたのです。<青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。>

 彼は、たくさんの財産があったからこそ、貧しい人たちを助けることができた。財産という言葉を広く捕らえれば、彼は人よりも優れたものをいろいろと備えていた。それによって、人のため世のために尽くすことができた。彼は、自分が持っているものを用いてもっともっといっぱいよいことをしたい、と言っていたのではないでしょうか。

持っている物を全部売り払い、施してしまえば、元も子もない。もう、彼の考える「善いこと」はできなくなってしまいます。イエスは、真面目で善良ではあるけれども、一皮向けば自分のことしか考えていない独善的でエゴイストの青年に、貧しく無力な人々と同じところに立って生きなさいと言っておられるのです。

ここでこの金持ちの青年がはたと気がついて、「ああそうか、参った。でも、何もかも売り払って従っていくことなどわたしには到底できません」とでも言ったら、そこに新しい始まりがあったかも知れない、と思ったりします。この青年は若き日の使徒パウロであった、という想像的な説があります。確かに若き日のパウロは、この青年のようでありましたが、復活の主イエス・キリストに出会い、彼の人生は180度方向転換したのです。(フィリピの信徒への手紙3章などを読んでください。)

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」とイエスは言っておられます。どう思われますか。コメントがございましたら、フォーラムにご投稿ください。


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