ある母の願い マタイ福音書20:17-28
 いよいよ明日(21日)から始まる日本中会50周年記念大会では、全体がいっしょに守る会のほかに、婦人たち、壮年たち、青年たち、その他中高生、小学生、幼児たちがそれぞれ分かれて別々に守る会があります。それぞれ担当の委員たちがいて、いろいろと工夫を凝らしたプログラムが組まれています。壮年の会の担当委員が、壮年たちの分科会のテーマを何にするかで悩んでいましたので、半分冗談に、「壮年よ、大志を抱け」はどうですかと言ったのですが、耳に入らなかったようです。
 大志は、少年が抱くもの。壮年には似合わないのでしょうか。いや、近頃は、少年にもあまり似合わないのかも知れません。
 クラークさんが言ったことばは、"Boys be ambitious!" これを誰かが、「少年よ、大志を抱け」と訳した。名訳です。「少年よ、野心家たれ」とも訳せることばです。大志と野心とでは、響きがかなりの違います。野心を突き抜けた先に、高次の清らかな目標がある。それが、大志ではないでしょうか。
 柔道の柔ちゃん田村亮子さんが、「わたしの目標はただ一つ。オリンピックで金メダルを取ることです」とテレビで言っています。立派な目標です。ピークを過ぎた彼女にとって、今度のオリンピックは最後のチャンスでしょう。こんどこそ何とか優勝してほしいと思います。しかし、金メダルはすべてではない。かりに金メダルが取れたとしても、それで終わるのであれば大したことはない。それを超えたところに、見えない何かがある。それが、大志です。
 ゼベダイの息子ヤコブとヨハネは、ガリラヤの漁師でした。ペテロとアンデレが、イエスさまに呼ばれて弟子としてついて行った日に、ヤコブとヨハネもまた舟と家族を捨ててイエスに従って行きました。四人は、イエスの最初の弟子たちだったのです。よし、偉い人間になってやろう、という思いがどこかにあっただろうと思います。イエスさまをはさんで、二組の兄弟たちの間にいつしか無意識のライバル意識が生まれてきたとしても不思議ではありません。ヤコブとヨハネの母親が出てきてイエスさまに、時がきましたら息子たちをご自分の右と左に置いてくださいと頼み込んだのです。これを知って、ペテロを含むほかの十人の弟子たちは大いに腹を立てました。みんな似たり寄ったりです。
 母親の申し出を聞いたイエスは、ヨハネとヤコブの方を見て、「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない」と言われました。イエスは、ご自分に従って来るのは、地上の成功者になることとは違うのだということを示されたのです。
 教会は、目に見える地上の活動体です。しかし、同時に、目に見えない天国とつながっている共同体です。使徒パウロは、地上のことしか見ない者たちについて、「彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません」と述べ、「しかし、わたしたちの本国は天にあります」と言いました。天にある本国をのぞみ見つつ地上の生を生きる。すべては新しくなる。価値観の大転換が起こるのです。

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