イエスとはどういう人か マタイ21:1-17
  戦時中の子供の遊びに、兵隊ごっこというのがありました。わけもなく山の中などを走らされて、鉛筆を二本もらったりしました。こういうこどもっぽい遊びに血をたぎらせる大人は今でもいるようです。三島由紀夫とか、石原慎太郎とか。きょう三日、都の<総合防災訓練「ビッグレスキュー東京2000」>とかがあるという。防災訓練の必要は大いに認めるけれども、公然たる軍国主義者石原都知事の、訓練に名を借りた、兵隊ごっこに付き合わされるなど、真っ平ごめんです。どうして世の中がどんどんこういった方向に行ってしまうのでしょうか。いやな感じばかりがつのってきます。自衛隊大動員、何が悪い、と開き直るに決まっています。計算されたその割り切りが、曲者です。善良なる市民のみなさん。うかうかしてはおれません。石原都政下において、防災の目は、兵隊ごっこがもたらす災厄のほうにこそ向けられなければならないのです。

 この国は、さまざまの暗雲が立ち込める中で二十世紀の幕を下ろそうとしています。そういった中で、国立市が、先ほど戦後五十数年を経て、平和都市宣言をしました。一条の光を見る思いがします。多くの応募作品の中から選ばれて、正式に、「国立市平和都市宣言文」として公表された宣言文は、内容のある文章です。週報にも下のように全文を記載し、記憶したいと思います。

<世界では、いまだに戦争が絶えず、核兵器使用の脅威はいぜんとして消えていません。
 私たちは、世界で最初の核被爆国の市民として、世界の平和の実現のために努力していく責任があります。
 この世に、「正しい戦争」などというものはありません。
 地球上に、もうこれ以上の血を流してはなりません。
 私たちは、あらためてこれまでの戦争と暴力のなかにたおれた多くのひとびとの悲しみと苦しみを思い、自由で平和な世界の実現のために力をつくします。
 新しい千年紀にあたり、私たち国立市民は、平和への強い意思を世界中のひとたちに高らかに宣言します。>

 菅原公一兄が、「かわら版 辻つじ反戦ながし」誌12号(8月27日発行)で、次のように報告しています。<この2000年6月、国立市は平和都市宣言をしました。そして、8月11日に、記念講演会が催されました。採用された宣言文案を書いた蔵多得三郎さんは、「戦争は常に、それを起こす国家によって正当化されてきた。この状況を乗り越えるのはもはや「正しい戦争」などというものはない、という考え以外ありえない。」「戦争放棄を明文化した日本国憲法第9条の価値は今ようやく世界に認められつつある」と述べられました。>

 蔵多さんが、「正しい戦争」などというものはない、という点を特に強調しておられることをわたしたちは重視しなければならないと思います。キリスト教世界は、十字軍をはじめとして、現代にいたるまで、しばしば「正しい戦争」を展開してきたのですから。

 イエス・キリストは、軍馬ではなくロバに乗ってエルサレムに入場することによって、まさに、正しい戦争、聖戦、などというものはないのだということを示されたのです。

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