持っているものをすべて  マルコ福音書12:41−44

関口 博 長老

今日の聖書箇所は、貧しいやもめが、生活費すべてを献金してしまった、という箇所です。お金はわずかレプトン銅貨2枚ですが、彼女にとっては、明日も生きていく糧のすべてでした。

レプトン銅貨というのは、通貨のなかで最低の単位です。日本でいえば、何円とか何十円というお金です。もともとの意味は、取るに足らない薄い貨幣のことです。それをイエス様は、「だれよりも、たくさん入れた」と弟子たちにつげました。

持っているものすべてを捧げたということは、明日生きていくことができないわけです。ですから、明日からの自分の存在そのものを神様にゆだねて生きる、ということを始めたといえるかもしれません。

旧約聖書の中にも、最後の食料を捧げたという記事があります。列王記上の178節以下です。エリヤがやもめに養われる箇所です。やもめは、1食分のパンしかなく、しかもそれをもって最後とし、息子と死のうとしていました。本当に最後の粉と油でパンを作り、それをエリヤに与えました。このやもめは、エリヤの言葉を神様の言葉としてとらえ、わずか1食ではあるが自分たちにとっては、全てである食料を与えたわけです。愛する息子との最後の食事を主張すれば、何の意味もなく終ってしまったかもしれないやもめの人生でした。しかし、やもめのしたことは、その後のエリヤの働きを見れば、エリヤを通して歴史の中で大きな意味をもつものとなったといえます。

神様によって、やもめの人生が、新しく意味付けされ、神様の書物にその人生が記されるという事が起きました。明日には、息子と死のうとしていた彼女の人生に大きな意味がつけられた、ということです。

今日の箇所のレプトン2枚を全て捧げるということは、自分の持っているもの全てを捧げる、ということで、何も手持ちがなくなるということです。神様に頼るしかないないのです。だれよりもたくさん神様につながっていなければ、生きていけないということです。持っているものすべてを捧げるということは、そこから神様が創造される新しい生き方が与えられる、ということでもあります。エリヤにパンを与えたやもめのように。

私たちの生き方が、神様が創造される生き方にいつもつながっていたいものです。

最近、朝山先生は、ヒストリーという言葉を良く使います。人それぞれの小文字のヒストリーと神様がつくられる大文字のヒストリーをつなげることが大切と。

レプトン2枚―持っているものすべてを捧げ、明日の生活をもゆだねていく人生に、神様によって新しく創造される生き方が備えられている。

この辺に、小文字と大文字のヒストリーをつなぐキーワードがあるのでは。



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