新しい革袋―ゼロからの出発 マタイ福音書9:1-17

 聞くところによると、二十一世紀は2001年から始まるようです。これがどうしてもわたしには分からない。納得が行きません。2000メートル走の競技があって、2000メートルを走り切ってゴールかと思ったら、いやまだ一周100メートル走らなければ2000メートルにならない、と言われているみたいです。

 赤ちゃんが生まれる。一歳になってはじめて赤ちゃんは人間になるのでしょうか。次の誕生日までの1年をかけて一歳になる。ゼロから1の間の1年が一年です。この場合、ゼロはただのゼロではない。到達点と起点とを示す決定的な分岐点を表しています。

 やはり、二十一世紀は、2000年から始まるとするのが正しい。わたしには、そうとしか考えられません。正確には、200011日午前0時から始まる。でなければ、2000年から2001年までの1年は、有名無実、あって無きがごとき年というか、宙に浮いた半端な年になってしまいます。

 多分わたしの理屈はどこか違っているのだろうと思うけれども、もう少し考えを推し進めてみます。二十一世紀は2000年ではなく2001年から始まるという計算で行くと、第三の千年期(ミレニアム)はいつから始まるのか。2100年からということになるのではないか。つまり、2000年を迎えようとするわたしたちは、2000年を迎えても、二十一世紀を迎えるにはあと1年待たなければならないのであり、第三のミレニアムを迎えるには、あと100年、あるいはひょっとすると101年待たなければならない。そういうことになるのではないか。

 いずれにしても、間もなくゼロ、ゼロ、ゼロとゼロが三つ連なる年を迎えます。このゼロがいわゆる「2000年問題」の原因ともなったわけです。

 確か「ゼロの発見」は歴史的重大事だった。しかしそれについては何も知らない。何も知らない者の勝手な理屈になるかも知れませんが、ゼロにはおそらく二種ある。ただのゼロ、空とか無とかと言い換えられるようなゼロ。もう一つは、ある決定的な始まりとしてのゼロです。始めに神は天と地とを創造されたというときの、「始めに」がこのゼロです。無から有が生じる分岐点・カイロスです。とするとゼロは二種あるのではなくて一つかも知れません。クリスマスは、まさに新しい創造の始まり。御子イエス・キリストは、0年に!地上にお生まれになった。

 イエスによって歩けるようにされた男も、従って来なさいと呼びかけられて立ち上がりその後の生涯をイエスの弟子として歩くようになったマタイも、イエスにおいて0からの出発を果たした人たちです。

 新しいぶどう酒は、新しい革袋に!

99/12/26


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