友のために(2) マルコ福音書2:1-12

 中風で寝たきりの男を、四人の男たちが、癒してもらうために即製の担架に載せイエスのおられる家に運んでくる。家は戸口まで人であふれ、運び入れることができない。男たちは、外から屋上に上り、イエスのおられる辺りの屋根をはぎ、担架をつり下ろす。イエスは、その男たちの信仰を見て、中風の男を起こし、歩けるようにしてあげられた。

 詳しくは、聖書の本文を読んでいただきたい。イエスをはさんで、いろいろな人たちが登場する。寝たきりの男、彼を運んできた四人の男たち、故意にではないけれども彼らの前に立ちはだかって壁となった人々、成り行きを冷ややかな目で見ていた数人の律法学者たち。さらには、この場に不在の圧倒的多数の人々のあることも覚えておきたい。

 自分は、この中のどこにいるだろうか。

 <イエスはその人たち(四人の男たち)の信仰を見て、>中風の男を癒される。<ところが、そこに律法学者が数人いて、心の中であれこれ考えた。・・・イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。・・・>

詩篇に、<稲妻は世界を照らし出し/地はそれを見て、みもだえし/山々は蝋のように溶ける/主の御前に、全地の主の前に。>と歌われている(97:4-5)。暗闇に稲妻が走り、隠されていたすべてが、一瞬、あらわに照らし出されるのである。これこそまさに、イエスのことば(ロゴス)、イエスの場(トポス)、イエスの時(カイロス)においてもたらされる事態である。

多くの場合、イエスのいやしは、汝の信仰なんじを救えり、と当人の信仰が問題になるが、ここでは、病人を運んできた四人の男たち信仰をみて、イエスは癒しておられる。ここで、信仰は、愛のことであり、もう一つ言えば、希望でもある。イエスさまは、この動きの取れない人を癒してくださるに違いないという信仰と希望とそして何よりも愛が、彼らに、屋上に上り屋根をはいで病人をつり降ろすといった普通には考えられないような行動をとらせた。イエスのロゴス・トポス・カイロスが、こういったことを引き起こさせるのである。

四人の男たちが家にやってきたとき、家は戸口まで人であふれ、彼らの入る余地はなかった。それでも、彼らの心の耳には、イエスの「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい」という招きのことばが聞こえて来たに違いない。「求めよ、さらば与えられん。捜せ、さらば見出さん。門をたたけ、さらば開かれん」という信仰が、彼らの心に湧き上がってきたのだ。彼らの前に立ちはだかる人の壁は、もはや問題ではない。彼らは、ただイエスさまを目指し、屋上にのぼり、屋根から病人をつり降ろしたのである。

まもなくクリスマスです。主イエス・キリストにお会いする日です。わたしたちの前にどんな壁が立ちはだかっているでしょうか。主は、待っておられる。
2001/12/09

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