新しい年へ 福音書 2:18-22

 <新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。>

 ジョン・レノンの「イマジン」という歌には、天国も地獄もないというくだりがあり、さらに、宗教もない(いらない)と訴えるくだりがあります。宗教が、人々の生活に何の役にも立っていない。それどころか、マイナスの働きをしている。そういったことへの嫌悪を示していると思う。

 この夏、信州安曇野の林檎園を訪ねる機会がった。そこのM夫妻は、除草剤や収穫前の落果防止剤などは一切使わず、最小限の農薬散布で頑張っている。そこから、「通信・林檎停」が届いた。農薬を使わないために、シンクイ虫の被害が広がって苦労している様子などが報告されている。そんな中に、ふと次のようなことも書いてある。

<アメリカの正義はどうだろうか。報復で複雑な問題が解決できるはずがない。戦争で平和がおとずれるはずもない。神さま神さまといいながら殺し合いをする。いったいどんな神さまなのですか。戦争屋が喜ぶような神さまは神でない。かつて日本もそんな時代があった。神さまのために若者が多数死んだ。そのことに責任を負わなければいけない構造がまだのうのうと生きている。日本の役割は他にあるでしょう。もうアメリカに荷担することはやめるべきだ。ひと一人の生命は自然の中にあってこそ愛しくもあり永久に繋がれるものではないか。>

 全く全く同感である。

 しかし、わたしが同感と言って、通用するだろうか。

 冗談を言わないでください。わたしが言っているのは、あなたがたのことですよ、と言われそうな気がする。それが、教会の実体ではないか。きょうの朝日に、<同時多発テロを受けて、「邪悪」と戦うブッシュ大統領に祈りをささげる運動が米国宗教界の右派の間で広がっている。>といった記事が出るほどだ。

 いったい、あなた方が信じている神さまはどんな神さまなのか。わたしは、そんな神さま信用しません。そんな宗教など、ないほうがいい。Mさんやイマジンは、そう訴えている。

 いったい、われわれの神はどんな神なのか。われわれの宗教は、どんな宗教なのか。イエスは、まさにこの問題をユダヤ人たちに問い掛けたのだ。ヨハネの弟子たちやファリサイ派の者たちは、律法の遵守に励み、競って断食をした。「原理主義」の真面目さと熱心さをもって、自らを正しい者とし、差別の対象として「罪びと」を作り出さないではおかなかった。イエスは、正しい者たちによって罪びととされた人々の客となり食事のもてなしを受け、正しい人たちを敵に回す羽目になったのである。

 文明の衝突のもっとも大きな要因となっている宗教の衝突の問題を、真正面から取り上げなければならない。二十一世紀の新しい酒を入れるための新しい革袋を用意しなければならない。あの東方の博士や羊飼いたちのように、新しい道を通って帰って行かなければならない。

2001/12/30

HOME  説教要旨目次