どこに立つか マルコ福音書3:13-19

昨日の朝日(1/26)朝刊、「私の視点・ウイークエンド」のページに興味深い記事がいくつか載っていた。一つは、「危機対策」という山口秀人さんの一こま漫画。右上がりのグラフを下から見上げる社長風の男性。グラフには、「株価 TOKYO STOCK EXCHANGE」の逆さ文字が付されている。社長は、裏返しに貼られたグラフをながめているのである。右へ急勾配で下降する線が右上がりのグラフになる。それが,「危機対策」というわけである。

 もう一つは、フォトジャーナリストの広河隆一さんの「メディア アフガニスタンの何を伝えるのか」というエッセー。<今回のアフガン戦争では、被害を受けた民衆の取材は私の知る限り自由だった。しかし、なぜ避難民キャンプを取材したジャーナリストが少なかったのか。><・・・ほとんどのジャーナリストは米軍空爆と北部同盟軍を追う「従軍記者」となった。戦争によって焦土と化した中に取り残され、死に瀕する避難民のわきを彼らは通り抜けたのである。>その結果<攻撃する側の都合のいい報道しか流れないという状況を生んだのである。>と述べ、<・・・フリーか組織かを問わず志あるジャーナリストたちが・・・何を人々に伝えなければならないかを真剣に考えることが必要なのではないだろうか。>と結んでいる。

 その他の二つの記事も、示唆に富むものであった。その一つは、かつてはがん治療医であったが現在ご自身が進行期がん患者であるひとりの医師の、医療に関する法の不備を訴える文章である。そしてもう一つは、先日東京で開かれたアフガニスタン復興支援NGO会議に二つのNGO(非政府組織)の団体が出席を拒否されたことに関連して書かれた文章である。<NGOは政府とは別の価値観を追及して活動する。このような市民の活動は、次の時代の幕開けにつながって行くことも多い。これを窒息させることは、社会の発展を窒息させることに等しい。>と論じている。

 どこに自分を置いて見るかによって、同じものが全く違ったものに見える。どこに立って見るか。これが、われわれに投げかけられている重要な問いである。どこに立つか。自覚的に選ばなければならないのである。

 <イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。>

 荘重な文章である。壮麗な大伽藍において執り行われる戴冠式に劣らぬ厳粛な任職式が、天空の下で展開されているのである。羊飼いたちが星空のもとで天の軍勢の大合唱を聴いたように、潅木のまばらに茂る山の中で、十二人は、新しい人類共同体の形成に向けて、いま使徒として任命されたのである。エルサレムのお偉いさんたちの立会いはない。律法学者やファリサイ派のような宗教家の顔も見えない。漁師や、徴税人や、出所のはっきりしない、一言で言えば、有象無象(うぞうむぞう)の寄せ集めに過ぎない者たちが、福音の担い手として、この世で最も重要な務めに任職されたのである。

 ここに、わたしたちがそこに身を置き、そこから出て行き、そこへ帰ってくる場所がある。

2002/01/27

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