成長の秘密 マルコ福音書4:26-34

 要するに、果報は寝て待て、ということだ。そう思うと、気が楽になった。

 たかだか、四五十年だ、クリスチャンとして、伝道者としてやってきたのは。教会が、建物だとすれば ―その面も、あるのだ― 今回の塗装・改修で明らかなように、そうとうがたがきている。礼拝堂正面の壁を開けてみると、ちょっとした工事ミスからきた雨漏れで、柱の腐食が限界寸前まで進みぼろぼろになっていた。大工さんは、ぼろぼろを丁寧に削り落として、芯を出し、これに天然乾燥の吉野檜の立派な四寸二寸の角材を二面に当てて、あれやこれやと実に手の込んだ細工をして補修し、「これで何年しても大丈夫」と言った。改修は完璧としても新しくなったわけではもちろんないが、さすが、と感心し、安心した。

 「来たらせたまえ 主よ御国を」と歌い、祈り求めて来たと思う。それで、何か新しくなっただろうか。ぼろぼろは、建物だけの話ではないのではないか。教会は、ローカルなレベルでも、グローバルなレベルでも、新しくなるどころか、ますます古びて行く。耐用年数は、かなり以前に過ぎていたのではないか。神の国は、ますます遠のいて行くばかりだ。

そうだよなぁー。たかだか四五十年で、何か新しくなるとしたら、とうの昔に新しくなってるよな。自分の時に合わせて、何かが起こるのを待つなど、全くいい気なものだ。

 百年河清を待つ、か。歴史は繰り返す。積み木崩し。<コヘレトは言う。/なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。/太陽の下、人は苦労するが/すべての苦労も何になろう。/一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。/日は昇り、日は沈み/あえぎ戻り、また昇る。/風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き/風はただ巡りつつ、吹き続ける。/川はみな海に注ぐが海は満ちることなく/どの川も、繰り返しその道程を流れる。・・・/かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。/太陽の下、新しいものは何ひとつない。/見よ、これこそ新しい、と言ってみても/それもまた、永遠の昔からあり/この時代の前にもあった。/昔のことに心を留めるものはない。/これから先にあることも/その後の世にはだれも心に留めはしまい。>(コヘレト1:2-11

 聖書のニヒリズムである。

たかだか、四五十年の歩みなど、物の数ではない。空しさに、外へ出てみた。ブロック塀で仕切られた内側に、猫の額ほどの緑地帯がある。小さな大自然があるのに驚かされた。「腐食って、美しいなぁ」「そうよ、腐食って、命よ。再生よ」という声が中から返ってきた。

「一粒の麦、地に落ちて死なずば」か。

 「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、・・・豊かな実ができる。・・・蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

 果報は、寝て待て。これに尽きる。

2002/02/24
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