逆風を受けて マルコ福音書 6:45-52

激しい通り雨が過ぎ去った後の空は、真ん中が、洗い清めたように真っ青だった。開会の六時半までには三四十分ある。STOP!有事法制5・24大集会会場の明治公園は、すでに、色とりどりの幟や横幕を掲げた人たちでかなり混みあっていた。わが菅原兄は、<有事法制にNO! 憲法九条を世界に広げよう>のアピールを胸に掲げて歩いている。クリスチャンたちの集合の場所に指定された主会場から一段高いところにある広場にはカトリックの人たちも大勢集まっていた。僧衣をまとい団扇太鼓を手にした日蓮宗系の人たちの一団が人目を引いた。車でわれわれを会場に運んできた関口兄と美樹夫人は、さっそく「国民の声を無視した国会議員の暴走を止めましょう!」のビラを配り始めた。荒瀬先生、丹羽先生その他、カンバーランドの牧師たちもわたしを含めて7人が集まった。めぐみの小池兄、太田兄そのほか、カンバーランドのメンバーも何人かやって来た。初夏の陽が没するころには、会場は大勢の人で埋め尽くされた。一段高いわれわれの広場には、大きなテレビ受像機が設置されていて挨拶に立つ人たちが並んでいるひな壇を映し出していた。

 橋本さんという女性ヴォーカリストが、アメイジング・グレイスと(わたしのお気に入りの)ジョン・レノンのイマジンを歌った。大衆伝道集会の開会のような幕開けだった。国会議員やその他の人たちが、それぞれの立場から演説した。高校生の女の子のアピールが、わたしの心にいちばん響いた。大人たちの説明調の演説にはインスパイアリングなものが欠けていて少なからず失望したが、何としても有事法制は阻止しなければならないという並々ならぬ熱意は十分に伝わってきた。

 八時過ぎ、三手に分かれてデモ行進が始まった。われわれは、国会議事堂、日比谷公園を目指して歩き出した。長い列だった。最後尾を確認することができなかった。「有事法制反対!アメリカの戦争に加担する有事法制に反対!加害者にも被害者にもならないぞ!・・・」と叫びながら、延々6,7キロ歩いた。

 家には、11時半ころたどり着いた。ニュースがわれわれの大集会をどのように報道しているか、を知りたかった。久米さんのニュース・ステーションでは何も触れられていなかったと、妻が言った。わたしは筑紫さんのニュース23に間に合ったけれども、ここでも何も報じられなかった。わずかにNHKのニュースが、5.24集会が開かれ、主催者発表4万人、警視庁発表1万人の参加者があった、と簡単に報じていた。

 翌朝25日(土)、朝日朝刊を開いた。社会面に、参加者に埋まる会場の写真と「有事法制反対集会に4万人 新宿の明治公園」という見出しの短い記事が載っていた。駅の売店で、産経、読売、毎日とThe Japan Times を買って来て開いてみた。一行の記事も見あたらなかった。

 報道とは何か。事実とは何か。要するに、選択である。何を選択し、何を報道するか。聖書の報道もまた、しかりである。聖書は、おびただしい群衆について語る。おびただしい群衆の中の、弟子たちの群れについて語る。弟子たちの中のペテロについて語る。どのように語っているか。そのことを、きょうの個所から読んでみたい。

 ひとこと、神の選択について触れたい。明治公園の群衆の一人として群がっているわたしの心にまず飛び込んできたのは、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」ということばである。モーセに、エジプトにいるわたしの民の叫び声を聞いたと告げられた神は、今日も、人々の叫び声を聞いてくださっている。神の選択に、われわれの選択を合わせることができるかどうか。問題は、そこにある。
2002/05/26
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