だれがいちばん偉いか マルコ福音書 9:30-37

 去る623日(日)に高座教会ヨベルホールで開催された臨時中会会議において、「マッタ・デ・サン・ジョアン伝道所開設」が正式に承認され、高座教会の12地区集会として始められたブラジル東北部における日系人への宣教が、日本中会の働きへと引き継がれ、石塚恵司牧師と和子夫人が派遣されることになった。ご夫妻は、二人の息子さんたちと共に1986年に一度ブラジルの現地に渡り、1989年に阿部牧師と交代するまでの約三年間、12地区担当牧師として働かれた。安部牧師が引き上げられた後、諸般の事情により常駐する牧師のないまま年月が経過したが、このたび石塚牧師が、再度、神の召しを受け、高座教会を辞任してブラジルに渡られることになったのである。このことを伝道所開設委員会は、「ジグソーパズルの最後の1ピースが埋められたように、日本中会がブラジル東北部への宣教に踏み出す時がいま与えられたのだと受け止めている」と臨時中会会議資料に書いている。

 国立のぞみ教会では、これより一週前の日曜日に、石塚牧師をお招きし説教していただいた。午後には、和子夫人とのおふたりから、ブラジルの実情を伝えるスライドを見せていただいた。一同大変に心に感じるものがあり、ブラジルに渡られる前にもう一度ということで、先週の木曜日、25日、CPW夏の集いのゲストスピーカに和子さんをお招きした。

おふたりは、高座教会の何百人もの人たちを後に残して行ってしまわれるわけである。まさに、九十九匹の羊を置いて一匹の失われた羊を捜しに出かけるようなものである。残される方はこれからいろいろ大変だろうけれども、これこそ本当の宣教ではないかと思う。臨時中会会議においても、わたしたちの教会においても、今度のことがみんなに熱い思いで受け止めているのは、そこに教会の宣教の本来の姿があるからであろう。

 マッタ・デ・サン・ジョアンというと、待ったで、さんざん、と聞こえる。佐々木さんの一家五人が、農業移民として、横浜から船でブラジルに向かったのは1959年の秋のことだった。わたしも、船が遠くへ消えて行くのを見送った人たちの中にいた。和子さんのお話によると、あのとき家長の佐々木三雄さんは、その年の三月に高座教会で洗礼を受けたばかりだった。家族五人は、サンパウロやリオデジャネイロから遠く離れたブラジル東北部の僻地へたどり着いた。学歴もコネも資産もない佐々木さんは、何をどこからはじめたらよいのか見当がつかなかったことだろう。

 和子さんのお話しで最初に心を強く打たれたのは、佐々木さんが、自分には何もないけれども日曜日は主に捧げようと決心した、というところだ。すべてはここから始まった。それから40数年、家で日曜学校のような集会を開き、聖書のお話しをし、二千キロ先のサンパウロから牧師を招いて洗礼式を行ったりした。佐々木さんの母教会である高座教会が12地区集会としてこれを支援し、やがて石塚先生一家の第一次派遣へとなったのである。

 その後、先にも触れたように、常駐の牧師不在のまま年月が過ぎ、佐々木さんをはじめ教会につながりのある一世代の日本人は、高齢化が進み、亡くなる方も増えてきた。ブラジルに夢を賭けて何十年か前に40代、50代でやって来た人たちが、苦しく貧しい生活の中で、自分たちの一生は何だったのか。存在の価値があるのか。生きる意味があるのか、と問わされている。

 石塚先生たちは、自分たちには何もできないけれども、みんなのところへ行ってそこで一緒に住むことくらいはできる、そう思うと何かストーンと心に落ちた。

 こうして、日曜日は主に捧げようというところから始まったマッタ・デ・サン・ジョアンのジクソーパズルの最後の1ピースがいまはめ込まれようとしているのである。

 和子さんは最後に、「だれがいちばん偉いか」と論じ合っている十二弟子達にイエスさまは、ひとりの子どもを抱き上げて、「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と言われた個所を引用し、イエスさまがブラジルの年老いた日系人たちをどんなに愛しておられるかを伝えたい、と言って話を閉じられた。
2002/07/28
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