小さな群れよ、恐れるな ルカ福音書12:22-34

 近頃、スローフードとかスローライフといったことばが聞かれるようになった。ファーストフードの反対語としてスローフードということが言われ出し、それに続いて、スローライフという言い方も出てきたということのようだ。

 ファーストフード・レストランは、日本では、スカイラークなどがはしりではなかったか。その一号店はたしか、国立富士見台の大学通りと桜通りの交差点にあるのがそれだった。間違っているかも知れない。いずれにしても、7080年代、日本社会は物質文明のトップを走るアメリカを急追し、大きいことはいいことだ、早いことはいいことだの掛け声勇ましく高度経済成長時代を突っ走り、一時期、バブルの酒に酔ったのである。(そのあだ花が、多くの市民の反対を無視して大学通りに建てられ、こんど市の景観条令に反するとして上階部分の撤去を命じる地裁の判決を受けた明和ビルである。)同時期、教会にも、大きいことはいいことだを臆面もなく標榜する「教会成長論」(Church Growth)などというまやかしの伝道論がはやり幅を利かせた。われわれはこれを教会の身売りとして、厳しく批判し、退けてきた。

 アメリカでは、ファーストフードレストランで提供される食べ物がときにジャンクフードと呼ばれることがある。ジャンクとは、ごみのことだ。お袋の味世代とジャンクフード世代とがあるとして、飽食の時代から貧しい時代を振り返ってみれば、お袋の味世代はろくな物を食わされなかった。けれども、目に見えない滋養をたっぷり摂らせてもらった気がする。「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ」ということである。ファーストであろうとスローであろうと、この原点に立ち返ることが何よりも大事である。

 イエスは、「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存知である」と言い、次いで、「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」と言われたのである。

 「ただ、神の国を求めなさい」とは、宗教を方便にしてはならないということだ。教会を大きくするための方便として、「キリスト教」を使うなということだ。「ただ、神の国を求めなさい。」教会が教会になるためには、これ以外にないのである。あまりにも方便化された福音理解とその宣伝が横行する中で、われわれは及ばずながら、聖書再読、再々読、信仰のとらえ直しを通しての、新しいというよりは本来の教会のかたちの再構築に向けて意を用い力を尽くして来たのである。

神の国とは、神の統治、神の支配を意味する。教会は、この世の原理によってではなく、神の国の原理によって立っている。この世の王ではないもう一人の別の王を王としていただいている。その王は、この世の王たちの支配のもとで、難民としてエジプトに逃れ、またガリラヤの僻地に身を隠して暮らす、寄る辺ない弱い王である。われわれの弱さにおいて、パーソンとして出会ってくれる王である。われわれをパーソンとしてくれるまことの王である。教会は、パーソンたちの「小さな群れ」である。それは、からし種のようなものである。「地上のどんな種よりも小さい」が、そこに、人類の希望が隠されているのである(マルコ福音書4:30-32)。

2002/12/29    
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